最近、地元にこもっている。東京で飲みづかれたのと、人に会い疲れたのと、仕事がたまっていたのと、姪に会いたいのと、毎日飯が出てくるのはいいなあ、というのと。
このまえ、姪の家にいってきた。
こんなことがあった。たわいないことだ。朝から行って、午後3時くらい、姪をかわいがるのも一段落したので、ちょっと散歩してくるわ、と言った。ちょうど運動不足の昨今だ。そんで、じゃあ、ちょっといってくるでね、と言ってテクテクと玄関の方へ歩いていくと、姪が、なにごとかという感じで廊下に出てくて僕の方を見ていた。あいつはどこへいくんだろう?というよりそれより以前に、あいつは何をしているんだろう?くらいの原始的な疑問が体中をとらえていた。
全身で、「なんだなんだ?」という疑問符になって、玄関から出て行こうとする僕を見つめていた。それを見たときに、ああ、とうれしい気持ちになった。癒された。
あれほど純粋な「なんだなんだ?」を見たのは久しぶりのような気がした。それは、もうすぐ2歳の人からしか放たれない「なんだ」なのかもしれない。
どれほど純粋かというと、たぶん、ぼくが玄関から去った後、10秒もせずに忘れてしまうだろうし、けっして、周りの大人たちに「あいつはどこへ行ったのか?」と尋ねることもないだろう。次の興味に移るだけで、それはたぶんお気に入りのキャラクター「しまじろう」のぬいぐるみか何かだろう。
だが、けっしてただの生まれたての赤ちゃんとかと違うのは、それは確かに僕の行動に向けられた好奇心なのだ。ぼんやりとした興味ではなく、明確に、あいつが何か変わったことをするらしい、という気づきがあり、その行方を見逃すまいと、瞬きもせずに見つめていた。その瞳は黒かったのだ。
あのような黒い瞳で、世の中をながめられたら、それはさぞかし楽しいだろう。それはどれくらい楽しいかというと、楽しいという言葉さえ思いつかないくらい、楽しさを世界全体としているのだ。ああ、こうしている間にも、ほんの瞬間だけ、あの頃の感覚がよみがえる気がする。が、それはやはり気のせいなのだ。それほど純粋な時間が流れていたことが、かつてあったのだ。
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