2/16/2012
カズオイシグロ「日の名残り」を読んだよ
さっきカズオ・イシグロの「日の名残り」を読み終えた。
んー悲しい。
この作家は「私を離さないで」でも僕をせつなさのどん底に突き落としてくれた。
ネタバレを恐れず、なんでも書くよ。
この執事の人生が失敗だったなんて思わない。
だけど、ドアの向こうで泣いているかもしれない女中頭を思ったときの「不思議な感情」について、あなたはあまりにも注意を向けなさすぎたのだ。
それは不思議な感情などという他人事のようなことばでくくられていいものではない。
執事にとってはそれは「不思議な」感情であったところが、ぼくには悲しいのだ。
思えば、おぎゃあと生まれてから、このような「不思議な感情」を味わい重ねていくのが、成長し生きてきたということなのだろう。
それは最初は「感情」ですらなく、不思議な感覚、ともすれば、なんか体がおかしい、という感じでしか把握できないたぐいのものなのだろう。もちろん、激しい怒りや、不安や恐怖、おいしい、うれしい、楽しい、などといった感情は、もしかすると生まれつきわかってしまうたぐいのものなのかもしれない。
しかし、この執事がはたと足を止め味わったという「不思議な感情」のようなたぐいは、成長過程のある時期を過ぎなければ感じることができないものなのかもしれない。
そしてそれは、もし意図的に、もしくはあまりにも他のことが大切すぎたがゆえに、見過ごしたり、軽視したりしてしまったのなら、永遠に、とある不可思議な感情、という域を超えず、一晩寝たら忘れてしまえるか、もしくは「たまに起きる不思議なこと」というレッテルが鮮やかに貼られ、ああ、またこれか、程度の痕跡しか人生の上に残さないものなのかもしれない。
でもそれは、人生の最晩年になって、不思議なことにことあるごとに浮かび上がり、夜な夜な夢に出たり、散歩中の足を止めずにはいられないほどの強度をもってよみがえったりするものなのかもしれない。
執事よ、君の人生はそれでよかったのかもしれないし、何も失ってなどいないのかもしれない。
よしんばその不思議な感情を探求したとして、事態はなにも変わらないか、悪態をつき続けるような人生に身を突き落としてしまったのかもしれない。
だが、最後に、女中頭の真実の言葉を聞く事ができて、そして自分の内なる真実を聞く事ができて、そしてそれに涙を流すことができて、よかったね。
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2 件のコメント:
おぉ。これは私も読まなくては!!
「私を離さないで」には私もかなりの衝撃をうけました。
DVD出たのかなーそっちもチェックしてみたいと思っています。
よし、早速図書館に行くとしよう。
でび
ぜひ!
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