2/24/2012
TIME/タイムを見た
さっきヨガに行ってきた。近所の人からずっと誘われていて行けなかったのが、今日はタイミングよくメールがきたので行ってきました。
しかし、おれ、背骨がちがち。もう後ろにも体そらないし、前屈もできない。ちょっと腕うごかしただけで背中が痛い痛い。いかんねーパソコン病だな、こりゃ。目も痛いし。どうなっちゃたんだろう。
バリにきて、ますますパソコンの時間が増えちゃった気がする。けしからんことだね。
ということで、しばらく、ヨガに通おうかな。ひとりだとなかなかね、できないしね。
実はおれ、ソウタイ法というのを習っていたことがあって、自分でもできるんだけど、なんとなく一人でやる気がしないんだよねー。股関節痛めたときはせっせとやったけどね。あと誰かが腰が痛いとかね。そういうときはがんばれるんだけど、日常的に自分でやるのはなかなか難しいね。やっぱ「場」っていうのが大切なんだね。他に人がいて、誰かがリードしてくれて、っていう環境込みでのエクササイズなんだね。
さておき、
今日は映画の話をしよう。昨日、昨年公開の『TIME/タイム』という映画を見ました。
時間がお金になった世界の話。簡単にいうと、時間をお金にみたいに働いて得たり、取引したりする世界で、時間がなくなれば死んじゃうの。
つまり、時間をつかって人々が奴隷化されてる世界の話なんだけど、なんだかねー。おれたちも奴隷なのかねーていう疑問を思い出したよ。
「誰か」の奴隷じゃなくても「システム」の奴隷ということはありえるわけでね。
奴隷同士で縛り合うってこともあるわけで、でもどこかで奴隷感があるなら、なにかを疑ってみてもいいのかもしれないよね。
自分は奴隷なのか。
そういえば、最近のニュースで、iPhoneをつくってる中国の工場で、あまりに労働環境が過酷で自殺者が多く、従業員がストライキを始めた、というニュースを見たね。一日12時間労働かな?工場の敷地内に寮があって、工場と寮の往復しかしていない。その寮も一部屋に6人とかで住んでいる。ただ寝るだけの部屋だ。それで一日中、工場で単純労働をひたすらひたすら、それでいて生活するのにぎりぎりぐらいのお金しかもらえない。これが搾取上場じゃなくて、なんだというのか。
そんな搾取工場でつくられたiPhoneをぼくたちは夢のツールとして、顔をほころばせて賛美しているのが実態だ。それでもジョブズは偉大なのだ。
もっとも、それはアップルの問題ではないとも言えるだろう。中国のその工場の問題であるし、中郷政府の問題でもあるし、第一にそこで働く中国人の問題だ。
つまり、そんなに過酷な状況ならそこで働かなきゃいいじゃない、職業選択の自由くらい中国だってある。他にいくらでも仕事があるだろう、と言う事はできる。
しかしそれは、マリーアントワネットが「パンがないならケーキを食べればいい」と言ったのと、さほどかわりがない言説ではなかろうか。たぶん中国人従業員たちは、他の選択肢が見つからないからそこで働いているのだ。
そういうことは遠いところで勝手に起きている。
ところが、ここインドネシアだともう少し身近でもある。
海でビーチボーイをしている若者は、ジャワ島からバリ島にでかせぎに来たという。
どうしてバリに来たの?と聞くと、ジャワにはきつい仕事しかない、という。工場などで肉体労働して、一日200円程度だという。いいところで250円だと。バリではたぶん、その数倍の給料をもらっているのだろう。それがインドネシアの実情だ。
しかしそれはそれでインドネシア人同士の問題ともいえる。このまえ会ったジャワ人は、お金持ちで、一泊3000円くらいのホテルに長期滞在し、パソコンもiPhoneも持っていた。旅行が趣味とのことだ。日本なんて比較にならない格差社会がインドネシアなのだ。
さて、何が言いたかったのだろう。
あ、そうそう、奴隷だ。
あ、そうだ、そういう中国やインドネシアみたいな国がある一方で、ブータンみたいな国もある。近代化に向かう発展途上国が必ずしも格差社会を産む訳ではないのだ。ブータンみたいに国策で近代化や外国との接触をコントロールし、社会の平等秩序を守る方法もある。それがいい結果を生むのか、意外な落とし穴があるのか、数十年後をみないとわからないが、少なくとも国民が、いや国王だけかもしれないが、意識的にそれを選んでいるんだから、すごいことである。少なくともある種の尊敬はいなめない。
インドネシアでは外国人が土地を買う事ができない。土地が欲しい場合はインドネシア人に名義を借りて、借地契約を結ぶしか無い。そのことで、よく日本人がだまされるそうである。名義を借りて何千万も払って土地を買ったつまりが、知らないうちに転売されてた、などなどの話を山ほど聞く。日本人がバリ人にどんどんだまさているのだ。その騙す手口がシステム化、ともすれば法律化されているケースさえあるという。恐ろしい場所でもある。
でも、逆にいえば、外国人が土地を買えるようにしたら、あっと言う間にインドネシア中の土地が先進国の持ち物になってしまうだろう。インドネシア人はさしずめ奴隷のように使用人としてこき使われるのだ。そんなことばかりをずっとやってきたのだ、このあたりでは。
世界というのは、思っていたよりずっとすさまじい場所だ。日本がぬるま湯に思える。もちろんぼくは日本人としてここにいるのであるからして、風呂につかりながら物見をしているようなものではあるが。
たぶんアフリカなんかいったら、もう生きる気力がなくなるか、逆に生きる気力が燃え上がってしまうだろう。それほど世界はまだむちゃくちゃなんだな。
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