6/21/2013

めいのことしか

最近、地元にこもっている。東京で飲みづかれたのと、人に会い疲れたのと、仕事がたまっていたのと、姪に会いたいのと、毎日飯が出てくるのはいいなあ、というのと。

このまえ、姪の家にいってきた。

こんなことがあった。たわいないことだ。朝から行って、午後3時くらい、姪をかわいがるのも一段落したので、ちょっと散歩してくるわ、と言った。ちょうど運動不足の昨今だ。そんで、じゃあ、ちょっといってくるでね、と言ってテクテクと玄関の方へ歩いていくと、姪が、なにごとかという感じで廊下に出てくて僕の方を見ていた。あいつはどこへいくんだろう?というよりそれより以前に、あいつは何をしているんだろう?くらいの原始的な疑問が体中をとらえていた。

全身で、「なんだなんだ?」という疑問符になって、玄関から出て行こうとする僕を見つめていた。それを見たときに、ああ、とうれしい気持ちになった。癒された。

あれほど純粋な「なんだなんだ?」を見たのは久しぶりのような気がした。それは、もうすぐ2歳の人からしか放たれない「なんだ」なのかもしれない。

どれほど純粋かというと、たぶん、ぼくが玄関から去った後、10秒もせずに忘れてしまうだろうし、けっして、周りの大人たちに「あいつはどこへ行ったのか?」と尋ねることもないだろう。次の興味に移るだけで、それはたぶんお気に入りのキャラクター「しまじろう」のぬいぐるみか何かだろう。

だが、けっしてただの生まれたての赤ちゃんとかと違うのは、それは確かに僕の行動に向けられた好奇心なのだ。ぼんやりとした興味ではなく、明確に、あいつが何か変わったことをするらしい、という気づきがあり、その行方を見逃すまいと、瞬きもせずに見つめていた。その瞳は黒かったのだ。

あのような黒い瞳で、世の中をながめられたら、それはさぞかし楽しいだろう。それはどれくらい楽しいかというと、楽しいという言葉さえ思いつかないくらい、楽しさを世界全体としているのだ。ああ、こうしている間にも、ほんの瞬間だけ、あの頃の感覚がよみがえる気がする。が、それはやはり気のせいなのだ。それほど純粋な時間が流れていたことが、かつてあったのだ。



6/09/2013

ウェブマガジンを

バンコクで知り合った友人に誘われて、ウェブマガジンを立ちあげようか、ということになっている。テーマは「旅とスタイル」だ。

旅ならよくしてるから何か書けるだろうと、誘われたときにYESと言ったのだが、なんと、お前が編集長をやれ、ということに。えーーっと腰が引けるも、とりあえず、やりましょう、と言ってみた。

とはいえ、まだ完全な白紙なのだった。

4月末、吉福さんが逝かれました。このブログでもたまに登場していた、ハワイに住んでいた、恩人です。吉福さんについて何か書こうと、何度も書こうとして、なんか書ききれずに消していたのだった。なので今回はちょい出し作戦で書いていくことにします。

その前に。とりとめのないことを挟むぜ。

いま実家に滞在中なんだけど、さっき、親が超古い手紙や年賀状なんかが入った箱を出して来て、要らないものを捨てるから仕分けしてくれと言う。それで、ひととおり目を通していたのだ。

いくつか、ハっとする手紙や、写真やなんやが出て来る。読み返してこんなにハっとするのに、ぜんぜん記憶にない。当時は、スルーしていたのか、受け止められなかったのか、単に忘れたのか。

たとえば、小さいところで言えば、高校時代の部活のエースからの年賀状。まず、そいつと年賀状やり取りしてたことも覚えてない。だが、その年賀状にはこういうことが書いてあった。「Y先輩の後はおまえだからな。しっかり頼むよ」

たぶん、ぼくが高校一年の冬なのだろう。Y先輩はきっと次の春が来る前くらいに引退することになっていたのだろう。そして、Y先輩と僕は同じポジションで、僕はまだ補欠だったのだろう。

で、すでに一年生ながらレギュラーになっていた同期のエースから、俺に激励のハガキが届いたということだろう。次はお前だぞ、しっかり頼むぞ、と。

意外だった。僕は高校生の部活は、たしかにレギュラーではあったが、いつも自信がなく、試合のたびに自分の不甲斐なさがつらく、後ろめたく、嫌な思い出しかないと思っていたのだ。

この年賀状を見たとき、あれ?と思った。あの同期のスーパースター、エース君が、俺にこんな声をかけてくれたこともあったのか、と。情けないことを書いてしまった。でも、運動神経がよくないのに運動部にいた奴なら、こんな気持ちをわかるかもしれない。

自分が、次期レギュラーの一員として、チームメイトとして見られていたのが意外だったのだ。なんとなく、申し訳ないことをしたな。と思った。つまりは期待に応えられなかったからだ。いつもチーム足をひっぱりつづけ、やる気もあまり見せることもなかったように思う。

そして、こんなことが何十年たった今でも心臓がどきりとするほどの何かなのだというのも意外だった。思春期のころの記憶はけっこう根強いのだね。

俺は奮起したのだろうか、と思う。このハガキをもらって、よーし、春から俺もレギュラーだ、チームを優勝させてやる!と心を燃やしただろうか。そこは覚えていない。というか、そういう記憶は無い。たぶん、プレッシャーでニガい気持ちになっていたのが大半だろう。

こんなことを書きたくなったのは、さっきAKBの総選挙を見ていたからかもしれない。

でなんだ。そうだ。ほかにも、あれ、こんな手紙もらってたんだ?という手紙がちらほら。二十歳そこそこのころの手紙だ。さっきの年賀状にも共通するが、誰かからどういう思いをかけられていたのか、まるで覚えていないのだ。ほかの余計なことはいっぱい覚えているのに。あれ、あいつこんなこと書いてきてたんだ?といまさら驚く始末。記憶とはいいかげんなものだ。

吉福さんがあっと言う間に逝ってしまった。それほど親しかったわけじゃないけど、なんかお世話になったなあという気持ちと、もっと吉福さんからいろいろ学んでおくべきだったという気持ちと。

吉福スピリットみたいなものがカケラが残された気がする。それは僕の周りにぼんやりと漂っている。つかめそうでつかめないものとして漂っている。

そこでウェブマガジンなのだが、何から始めればいいのか。。とりあえず、言い出しっぺのパートナーになんか書いてもらえばいいけど、俺的にもコンセプトなりを打ち出したいところだ。

なんだか不思議なものになればいいと思う。そこで僕はいきなり保坂和志の言葉を持ち出す。小説の価値は、小説を読んでいる時間の中にしかない。これだ。

とりとめのないブログを、また再会します。