2/25/2012

たどたどしさとは




Youtubeとは偉大なもので、ぼくにあることを教えてくれた。
それは、うまさや華麗さだけが心に迫るわけではないということだ。
音楽について。

Youtubeをいろいろ見ているうちに、どっかの素人が勝手にカラオケを歌ってアップしていたりするのを見かけるようになった。大抵はうんざりするだけだが、たまに、あれ、いいじゃん、と思う動画もある。それは、決してうまいわけではないが、なんだか、いいね、という感じのものだ。

そして、クラシックの世界でも。
ぼくが宝物のように大事にしているmp3があって、それは、どっかのこどもが発表会であるクラシック曲を弾いたものだ。それほど上手ではない。途中で急に遅くなったり早くなったり、一瞬つまってしまったりしている。簡単に言えばたどたどしい。でもそれをぼくは何度も何度も聞いてしまうのだ。

なにか感動するのか、ある感情を芽生えされる。それは、世界的なピアニストが同じ曲をひいても出ないとある効果、とある情感である。この演奏のなにがぼくをしんみりさせるのか。

たどたどしさとは何だろうか。

答えをいってしまおう、それは意志である。

赤ちゃんが、始めて立ち上がろうとするとき、親は両手をたたいて応援する。そうせざるをえない。ほいほい、がんばれ、がんばれ、赤ちゃんは、なんども立ち上がろうとして尻餅をつき、また立ち上がろうとする。決してしかめっつらの努力をしているわけではない。意地でも立ち上がってやるという熱意を見せているわけでもない。ただ、なんど尻餅をついてもまた立とうとする。よろよろとよろめきながらも、立ち上がろうとこころみる。まるでそれが産まれてきた目的であるかのように、そうしようとするのはあたりまえのことなのだという顔をして、立ち上がろうとするのだ。顔面に苦痛はない。むしろ喜びさえ見て取れる。大人達は固唾をのんで見守るしかないのだが、立ち上がった時のあの感動ー。

もし赤ちゃんが、ある日なんの苦労もなく、すくっと立ち上がってスタスタと歩き始めたとしたらどうだろう。そこにはどこか生命の本質に反しているかのような違和感がないだろうか。そこに人が育つという感動はあるだろうか。

そう、あのたどたどしさの中には、赤ちゃんの、いやどこか生命の、意志が宿っているのだ。われわれはそれを見守らされる事になるのだった。


たどたどしい発表会のピアノを聞きながら、ぼくの中の何かが癒される。それは、それでいいんだよ、そういうふうに人は生きていくんだよ、という原則中の大原則をそっと思い出させてくれる演奏だからかもしれないね。

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